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大学の講義中に20分間先生に怒られた話【号泣】5

 こんにちは、バロンです。続きの記事となっております。まだ見ていない人はこちらをご覧ください。↓

baronsama.hatenablog.com

  老人ホームでの実習期間が終わり、一段落着いた。久しぶりに大学に登校してまず最初に感じたことは「若いっていいな」と思いまいたね。

5日間老人ばかり見ていたせいか人の力を借りずにご飯が食べられたり、運動が出来ることがどれだけ恵まれていて、若いうちにチャレンジすることが大事であることを改めて実感出来た。バイトや遊ぶことも若い内に沢山するのも大事だけど、自分の成長にはつながらないし、それで大学生活四年間を無駄にしたくないと思った。

年配の人が「若い内にいろんなことにチャレンジした方がいいよ」と口酸っぱく言っている理由がよく分かった。

バカにされようとエゴイストと言われても自分の信念を貫き通していきたい。

ではそろそろ、記事の内容に入ります。

老人ホームの次は、特別支援学校の実習に2日間行かなければなりません。5日間に比べればあっという間に終わるだろう思いながら、家で実習の準備をして明日に備えました。

老人ホームは家から20分程度で着きましたが特別支援学校は、電車を使って行きましたね。(電車賃は出なかった…。)

わたくしバロンが行った支援学校は、小学校と中学校が繋がっている校舎でした。

8時30分

 受付場所に行き、私以外の学生も20人くらい来ていた。待合室の机の上に自分のネームカードが置かれており、そこの席に座った。私が席に座った数分後に隣の席に座った人がなんと...........。

 

中学校の頃の同級生でした。(男です)

 

同級生「バロン」と突然声をかけてくれて自分は凄く仲のいい関係ではなかったのですがあっちから声をかけて下さり、思わず目を丸くしてしまった。

 

同級生「バロンも教職課程取っているんだね」

 

バロン「そうだね。でもここだけの話し教師になるかは分からない」

 

同級生「俺もバロンと同じ感じ」

 

バロン「でも、知っている人がいて良かったわ2日間がんばろう」

 

とこんな感じで、知っている人がいて緊張はほぐれました。他の大学のリストを見たところ私の大学以外はみんな二人以上、同じ大学に通っている生徒がいることを支援学校に行く前にプリントで確認したので周りとうまくやっていけるか心配だった。

 

特別支援学校の校長先生が前に出て話を終えたら、小学校と中学校どちらを担当するかを分けました。わたくしバロンは、中学と高校の教職課程でしたので中学校の方を担当することになりました。ちなみに同級生の彼も中学校の方でしたので良かったです。

私は、一年生を担当することになりました。他二人の学生も一年生のグループになりました。

 

8時40分

 

校長「では そろそろ生徒たちが登校してくる時間ですので校門の前で挨拶をしに行きましょう」と言いました。

 

校長の命令は絶対ですので、私たちは校門の前に向かいました。黒スーツを着た見知らぬ人が20人横一列に並ぶ光景は余りにもシュールすぎだろw

保護者と一緒に生徒がきた時、生徒は「この人たち誰?」みたいな反応で私たちを見てました。登校時間が終わり、いよいよクラスとご対面です。

 

8時50分

 

 自分が担当するクラスに行き、教室を除いてみると生徒は8人くらいしかいませんでした。先生が出席確認を取った所今いる生徒で全員でした。1年から3年まで一クラスしかなくどの学年も大体同じくらいの人数でした。(少ない方がぶっちゃけやりやすいから良かった)

 軽く自己紹介をして朝のホームルームは終わった。

 

9時30分

 

 1時間目初っ端から体育でした...........。ジャージに着替え体育館に集まりました。人数が少ないため全学年合同で体育を行っているそうです。確かに8人だけじゃドッチボールやバスケ球技全般できないもんね。

 

まずは、準備体操を始めました。これは基本中の基本だよね。そっから何か球技でもやるのかなと思いきや体育館の周りをひたすらランニングするだけです。

 

よく分からないけど岡崎体育の「ミュージックビデオ」が流れて曲のテンポが遅くなったらリズムに合わせて走るスピードを落としたり、テンポが速くなったら走るスピードを早めたり曲が終わるまで走り続けた。これが結構しんどかった..........。日頃走ってないから後半から息切れしたわ。

 

ランニングが終わったら、腕立て伏せや腹筋をしたね。障害者の生徒でうまくできる人もいれば、できない人もいた。結局球技とかはせずに体育は終わりました。

 

10時45分

 

  2・3時間目、陶芸・木工の見学。簡単に言いうと技術の時間です。生徒たちが自作の工作をするのを自由に見学する時間です。特別支援学校の校舎は普通の学校より技術室が3部屋くらいありましたね。多すぎやろΣ(゚Д゚)

 

木材を使ってストラップを作ってる生徒もいれば、陶芸で陶器を作っている生徒もいました。ぶっちゃけ人生で陶芸一回もやったことないから混ざりたかったな..........。

 

12時00分

 

 お昼ご飯の時間になった。前回の老人ホーム見たくお膳を運んだり手伝うことはなかった。

  私は弁当持参でしたが、生徒たちは給食だったので給食着を着ている姿はとても懐かしい気分になった。給食とか5年以上食べていないと思うと時の流れは早いと感じたね。教室の机を丸く輪にしてお昼ご飯を食べた。

 

「全ての食材と命に感謝 頂きます」

 言葉のキャッチボールを出来る生徒もいれば、出来ない生徒もいた。まぁ何だかんだ楽しかったけどね。

 

13時00分

 

 お昼ご飯が終わり、次は何の授業をするのかな?と思いきや奉仕活動でした。

 

奉仕活動?とうとうリアル比企谷八幡の出番かと思いきや校舎裏の周りに落ちている枯葉を拾うらしい。

 校舎裏に行って見るとまだ秋でもないのにかなりの量の枯葉が落ちていました。これをひたすら生徒と先生と一緒にひたすら拾う作業ですね。

 

バロン心の声「体育といい枯葉拾いといい肉体労働多くないですか」

 

生徒たちは、黙々と作業をこなしていましたね。偉い

 

14時00分

 

 帰りの会ですな。やっぱりこの学校は、大体は五時間目で終わるそうです。羨ましい。

 

14時30分

 

 こっから生徒も帰ったところで今日一日を振り返っての感想とか質問を学級担任に話す流れになりました。

 

何話したっけな~ ガチで忘れたはすいません(笑)。

 

一つ覚えているのは、自分と同じグループになった一人の学生は教育学部つまり学校の先生になる前提のガチ勢な訳ですよ(私の中では)。しかし、彼は「自分は先生になる気はないです」と言いました。

 わたくしバロンは、心理学を専攻して取りたい人は教職課程も履修していいのでぶっちゃけ教職課程はサブみたいな感じです。

 

彼ははっきりと担任の先生に「自分は先生になる気はない」と言ったことは今でも覚えています。決して強く言った訳ではなかったのですが、せっかく教育学部(国立)に入ったのに将来的は、先生になるつもりはないって何のために入ったんだよと心の中で思いましたね。

まぁ確かに今振り返って見れば、自分も心理学を専攻しているけどカウンセラーの先生になりたい訳でもないしね。あっちからしてみれば教育学部にいる人たちみんながみんな学校の先生になりたい訳でもないのかもね。

 

学級担任の話よりも印象に残っていたわ。

 

15時30分

 

 退勤。あとはジャージからスーツに着替えて先生に一言声をかけて帰宅です。大体1日の流れはこんな感じで、終わりました。二日目の最終日には校長先生から小学校及び中学校の教員の普通免許状授与にかかる教員免許法の特例等に関する法律第二条に規定する介護等体験を行ったことを証明する証明書を授与されました。

 

 体験を終えての感想(今の気持ち)

 

 特別支援学校の実習を終えて自分が健康的に産まれてきたことがどれほど恵まれているか実感する事が出来ました。障害者の人を差別している訳ではありませんが、特別支援学校にいる生徒たちもいずれは、学校を卒業して社会の一員になります。しかし障害者の人達は、私たち(健康の人)と違い働くことが身体的、精神的にも出来ない仕事が沢山ある。つまり、限られた選択肢の中で人生を送らなければなりません。

 私は2019年就職活動を行って様々な企業説明会や面接を受けに行きました。私は、本当の夢は将来的に独立して起業したいと想いながらイヤイヤ就活をしてました。けれども、私にとっての夢や色々な企業に面接しに行く。その当たり前ことが障害者は、出来ない。可能性がゼロではないが、重度の障害者には到底不可能な話しだろう。才能があるとかないとかの問題ではなく、彼らは出来ない。

 ですので、2日間障害者の生徒と関わり自分がどれほど有利な立場で人生を送っているのか身に染みて感じました。これからの人生も自分の可能性を無駄にしないで色々な事に挑戦していきたい。

 

次回最終回。